大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(う)1251号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は長野地方検察庁上田支部検察官検事有重保名義、弁護人島田武夫名義、同島田徳郎名義、同伊達秋雄名義および同小王治行名義の各控訴趣意書に記載してあるとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は弁護人島田武夫、同島田徳郎共同名義、および弁護人小王治行名義の各答弁書に記載してあるとおりであるから、いずれもここに引用し、これに対して当裁判所はつぎのように判断する。

第一被告人が本件選挙にさいし立候補を決意した時期に関する弁護人の各論旨について

島田武夫弁護人の論旨第一点、小王弁護人の論旨第一点および第三点は、原判決が事前運動の事実を判示するについて、被告人が本件選挙にさいし立候補を決意した時期を判示していないのは審理不尽ないし理由不備であると主張し、右の各論旨および島田徳郎弁護人の論旨第一点の三の(2)並びに伊達弁護人の論旨第一点第一は、被告人が本件選挙にさいして立候補を決意したのは昭和三八年一〇月二九日ころであるから、原判示第一の事実中、同日以前の所為にかかるものは罪とならない旨主張するので、按ずるに、いわゆる事前運動の罪は、公職選挙法第一二九条に違反して公職の候補者の届出前に選挙運動をなしたことによって成立するものであるから、判決においてこれを判示するには、選挙運動と認むべき具体的事実を判示し、かつ、それが立候補の届出前になされたものであることを判示すれば足りる。もっとも、ある事実を選挙運動と認めるについては、特定の者が立候補の意思を有していたことを要するものではあるが、かかる意思は、当該行為のさいにこれを有していれば足りるのであるから、判決にこれを判示するにさいしても、具体的な行為のさいに立候補の意思を有していたことを明らかにすれば足り、その立候補の決意をなした時期までを確定し、これを判示するの要は毫も存しない。しかるに、原判決は、被告人が、立候補の届出前である昭和三八年九月五日から同年一〇月三〇日までの間において、原判示のごとき饗応接待、現金の供与または交付がなされた事実を判示し、その各行為の当時立候補の決意を有していたこと、および、それが自己に当選を得る目的をもってなされたものであること、すなわち選挙運動であることを判示しているのであるから、いわゆる事前運動の事実の判示としていささかも欠けるところはない。そして、原判決挙示の各証拠その他記録によれば、被告人は、原判示昭和三八年九月五日ころには、すでに立候補の決意を有していたことが明らかであるから、この点に関する事実誤認の疑いも存しない。

各所論は、前記のごとく、被告人が本件選挙にさいして立候補の決意をなしたのは昭和三八年一〇月二九日ころであると主張し、その理由として、被告人の検察官に対する昭和三八年一二月五日付供述調書中には、被告人が同年一〇月一四日ころ、東京で佐藤栄作と会い、同人から年内解散の見通しを聞かされて気持が忙しくなったので、堀内勝義に命じ、自己振出の約束手形を三和銀行吉祥寺支店で割引かせ、二九〇万円位の金を作らせて上田に運ばせ、その金をばらまいた旨、恰も、一〇月一四日ころはすでに被告人が立候補の決意を有しており、買収資金を調達したがごとき供述記載部分が存するが、外遊中の佐藤栄作が帰国したのは一〇月一二日であり、右約束手形を右銀行で割引いたのは一〇月一一日であることが他の証拠によって明らかであるから、被告人は佐藤栄作から年内解散の話を聞く以前に右金員を調達したこととなり、右供述記載は真実と異る等、前記調書は信用出来ないとか、当時、被告人にはいまだ当選の見込みはなく、政党の公認を得る見込みもなかったのであるから、かかる状況下において立候補の決意をなすがごときは経験則に反するとか、あるいはまた、被告人は、国会解散当日「今日解散になった。早かったな。俺も自信がないが出るつもりだから、北斗会もないところはしっかりやってくれ。みなが元気でやってくれれば、俺も何とか当選にこぎつける」と言っている(跡部勲夫の検察官に対する昭和三八年一二月四日付供述調書)のは、予期に反して解散が早く、解散になってもなおかつ立候補の自信がないことを表明していたのであり、被告人が立候補を決意したのは、被告人が小王治行、倉石忠雄と相談し、さらに佐藤栄作と相談した結果、「党の公認は困難だが、佐藤、倉石の名前を使ってもよい、追加公認ということもありうる。」旨聞かされたので、一〇月二九日に至り、初めて立候補の決意をなしたものであると種々縷説するも、証拠によれば、被告人が立候補の届出を最終的、確定的に決意したのは、あるいは所論のごとく一〇月二九日ころと認められないわけではない。しかし、前記立候補の意思は、苟もその意思があれば足り、確定的決意が存したことを要するものでないことは、島田武夫弁護人の論旨も援用する最高裁判所の判例(昭和四〇年二月三日第二小法廷決定、最高裁判所判例集第一九巻一号三二頁)が判示するとおりである。もっとも、同弁護人の所論は、右判例は地方選挙に関するもので、衆議院議員の選挙に関するものではないから、本件に適切でないと主張するが、ひとしく公職選挙法による選挙に関するものであり、地方選挙たると本件のごとき選挙たるとにより、その解釈を異にすべき合理的根拠はない。ところで、本件においては、被告人は、単に所論のごとく「立候補したい」とか、あるいは「立候補するかもしれない」という程度(この程度の意思でも犯罪の成立を妨げないとするのが前記判例である。)に止まらず、遅くも原判示九月五日当時には、すでに相当強固な意思、すなわち立候補の決意を有していたことは記録上明白といわざるをえない。所論指摘の前記被告人の供述調書にいわゆる佐藤栄作との会談、および約束手形による金員調達の間に他の証拠と相異する点の存することは所論指摘のとおりであるが、同調書において被告人が供述するところは、佐藤栄作と会って初めて立候補の意思が生じたというわけではなく、他の証拠によっても、当時すでに立候補の決意を有していたこと、および、そのころまでに、すでに相当多額の選挙資金が支出されていたことが明らかであることに徴すれば、たとえ所論のような相異があるにしても、同調書において供述しているがごとく立候補の意思のあったことおよび選挙資金調達の事実そのものに関する信憑性を失わしめるものではないから、これをもって、所論のごとく被告人に立候補の意思がなかったものと推断することはできない。当選見込みあるいは公認の見込みは、被告人が最終的に立候補届出の決意をなすについて重要な要素となったであろうことは推認するに難くはないが、被告人にその見込みが当初から全く無かったものとは記録上これを認めがたく、被告人が本件当時立候補の決意を有していたものと認定したことをもって所論のごとく経験則に反するものとはいえない。所論援用の跡部勲夫の供述調書によって窺われる解散直後における被告人の言動をもって所論の趣旨に解するは全く独自の見解に過ぎず、右言動のごときは、むしろ、被告人が、すでに立候補の決意を有していたことを裏づける一つの証拠というに足る。

なお、所論は、本件選挙に先立つ国会の解散は予想外に早く、本件当時はいまだ年内解散の見通しがなく、したがって、選挙運動というに足る「選挙」の特定がなかったのであるから、いまだ選挙運動とはいえないし、かかる不確定な状況下において、被告人が立候補を決意するというのも不合理であると主張するが、本件選挙は衆議院議員の選挙であり、記録によれば、当時新聞その他の情報により、早晩国会が解散されるべき政情にあったことは、世上一般に知られていたことが認められるから、いまだ選挙運動にいわゆる選挙の特定がなかったとする所論は当らず、これを前提とする論旨は理由がない。

各所論に徴してさらに記録を調査するも、原判決挙示の各証拠に所論のごとき証拠能力または信憑性に疑いの存するものはなく、被告人が本件選挙について立候補の決意を有していたことについて、所論のごとき審理不尽、採証法則の違背、理由不備の違法はなく、事実誤認の疑いは毫も存しない。この点に関する各論旨は、いずれもその理由がない。

第二本件饗応接待、金員の供与、交付およびその趣旨に関する弁護人の各論旨について≪省略≫

第三原判示第一の五および六並びに第二の四および五に関する事実誤認および法令適用の誤りを主張する弁護人の各論旨について

一、島田武夫弁護人の論旨第四点、島田徳郎弁護人の論旨第二点、伊達弁護人の論旨第二点の一は、まず、原判示第一の五の事実について、原判決は、被告人が北村国昭と共謀のうえ、小林只雄に対して金五〇万円を交付した旨認定しているが、右は、被告人が北村国昭および小林只雄と共謀のうえ、中村源三郎に金五〇万円を供与したものであり、小林只雄に対する金員の交付は共謀者間の授受に過ぎず、したがって、小林只雄に対する交付罪は中村源三郎に対する供与罪に吸収されて罪とならない、しかるに、本件においては、右供与罪は起訴されていないから被告人は無罪であると主張するので按ずるに、被告人(昭和三八年一二月一七日付)、小林只雄(同年一二月一〇日付、同月一二日付)、北村国昭の検察官に対する各供述調書等記録によれば、被告人は、原判示一〇月二三日、佐久町の旅館海瀬館で中村源三郎に会ったさい、同人から選挙資金(買収資金)を貰いたい旨申しこまれたので、同旅館から上田市内の選挙事務所に電話をかけ、北村国昭に対し、直ちに現金七〇万円を持って原判示小林平方に赴き、うち五〇万円を小林只雄に渡し、残二〇万円は清美屋旅館に持ってくるように指示するとともに、小林只雄に対しては、小林平方で国昭から現金を受けとり、それを中村源三郎に渡してもらいたい旨指示したこと、北村国昭は父(被告人)の指示に基づき、現金を持参し、小林平方において原判示のごとく五〇万円を小林只雄に交付し、同人は直ちに中村源三郎外一名を小林平方に呼び寄せ、これを中村源三郎に手交したこと、北村国昭および小林只雄は、右金員が選挙資金であることを知っていたことが認められ、右事実によれば、右現金五〇万円は、所論のごとく、被告人、北村国昭、小林只雄の三名共謀のうえ中村源三郎に供与したものと認められないわけではない。しからば、原判示小林只雄に対する五〇万円の交付は供与の共謀者間における金員の授受と解され、かかる場合、所論援用の最高裁判所の判例(昭和四一年七月一三日大法廷判決、同裁判所判例集二〇巻六号六二三頁)によれば、先の交付罪は後の供与罪に吸収されることもまた所論のとおりである。しかし、以上のごとき事実関係および犯罪の成否は、実体上然りというに過ぎない。すなわち、訴因制度を採用した現行刑事訴訟法の下においては検察官が提起または変更した訴因に制約され、その限度において事実を認定し、犯罪の成否を論ぜざるをえない。しかるに、本件においては、検察官は原判示事実と同旨の交付罪の訴因をもって公訴を提起し、原判決はその限度において事実を認定したことが明らかであり、かかる制約の存する以上、原認定をもって事実誤認の違法があるものとはいえない。所論は、前記大法廷判決を援用し、かかる場合、交付罪は供与罪に吸収されるが故に、もはや交付行為をとらえて交付罪に問疑することはできないと主張するが独自の見解に過ぎず、右大法廷判決は後の供与行為までが訴因として提起され、現実の審判が可能な場合に関するものであり、供与罪として訴因が提起されない以上、その共謀者間の金員の授受(交付、受交付)を処罰しえないものとする趣旨を含むものではない。なお、共謀者間における買収目的金品の授受が、交付または受交付罪を構成することは、前記大法廷判決が別に判示するところによって明らかである。

もっとも、伊達弁護人の論旨は、右のごとく訴因に制約されるとするならば、検察官は訴因を変更し、あるいは裁判所自らその変更を促し、または変更を命ずべきであり、しかるに原審はこの点に関して釈明を求める等なんらの措置に出なかったのは審理不尽であり、漫然、検察官の恣意的訴因を認容したのは違法であると主張するが、検察官の証拠の評価に関する見解の相異は別としても、かかる公訴の提起をもって強ち恣意的な訴因の提起と非難するは当らず、また、本件において、小林只雄に対する交付を同人と共謀のうえ中村源三郎に供与したものと訴因を変更しうることは前記大法廷判決もその理由において説示するところから明らかではあるが、公訴事実の同一性が存する場合においても、裁判所が、自ら進んで、検察官に対して訴因の変更を促し、またはこれを命ずべき責務があるものと解しえないことは、最高裁判所判例(昭和三三年五月二〇日第三小法廷判決、同裁判所判例集一二巻七号一、四一六頁)に徴して明らかであるから、原審の訴訟手続に審理不尽その他の違法があるものともいえない。各所論は独自の見解といわざるをえず、原判決に事実誤認ないし法令適用の誤りは在しない。論旨はいずれも理由がない。

二、島田武夫弁護人の論旨第五点、島田徳郎弁護人の論旨第二点および伊達弁護人の論旨第二点の二は、原判示第一の六の事実について、原判決は、被告人が小林只雄、北村国昭と共謀のうえ、柳沢金次郎に対し、現金一五万円を供与した旨認定しているが、柳沢金次郎に対して供与したのは現金五万円に過ぎず、他の一〇万円は、同人とも共謀のうえ、掘込三千雄に対して五万円、林高志に対して五万円を供与したものであり、したがって、右一〇万円は柳沢金次郎に対し、共謀者間の授受として交付したものであるから、供与罪に吸収されて罪とならない旨主張するが、前記一記載の被告人、小林只雄、北村国昭の各検察官に対する供述調書および柳沢金次郎の検察官に対する供述調書によれば、被告人は、前記一において認定したとおり、北村国昭に持参させた現金七〇万円のうち小林只雄に交付した五〇万円の残金二〇万円の中から、原判示清美屋旅館において、北斗会の佐久市中込地区の平賀、中山、中込支部に対する買収資金として、各五万円ずつ供与することにつき小林只雄と相談していたが、さらに、中込地区の責任者で、かつ、中込支部長である柳沢金次郎に相談したところ、同人は、中山支部は人が少ないので五万円は要らないというので、被告人は、各支部の配分額は柳沢に委せることとし、結局、中込地区分として現金一五万円を、北村国昭をして柳沢に渡させたものであることが認められる。もっとも、柳沢は、その直後、当初の被告人の配付案のとおり、各支部五万ずつとして堀込三千雄、林高志に各五万円を渡したことが認められる。右事実によれば、被告人は、本件一五万円の現金は、一括して柳沢の処分に委ねたものというべく、後に柳沢が堀込および林に渡した合計一〇万円についても、柳沢一人に供与したものであって、所論の如くこれを交付したに止まるものとは認めがたい。しからば各所論はその前提を欠き、論旨はいずれも理由がない。

三、伊達弁護人の論旨第二点の三、および島田徳郎弁護人の論旨第二点は、原判示第二の四の事実について、原判決は、被告人は赤羽忠雄と共謀のうえ、小林只雄に対し現金三〇万円を供与した旨認定しているが、右金員は、小林只雄とも共謀のうえ、小林礼次郎に対して二〇万円、宮坂安之助に対して一〇万円を供与する趣旨にて小林只雄に渡したものであるから、小林只雄に対してはこれを交付したに過ぎないというべく、したがって前同様、供与罪に吸収されて罪とならない旨主張するが、被告人(昭和三八年一二月二一日付)、小林只雄(同年一二月一四日付)、赤羽忠雄の各検察官に対する供述調書の記載によれば、右金員は小林只雄に対し、買収資金として同人の処分に一任して供与されたものであることが明らかであり、もっとも、その後、小林只雄は、そのうち二〇万円を二回にわたり小林礼次郎に渡し、他は宮坂安之助に渡すなどしたことも認められるが、かかる事実は被告人の全く関知しないところであり、小林只雄が独自の裁量によってなされたものと認むべきであるから、右小林礼次郎および宮坂に対する金員の授受につき、被告人が小林只雄と共謀したとの事実は記録上これを認めがたく、本論旨もまたその前提を欠いて失当といわざるをえない。

四、島田武夫弁護人の論旨第六点は、原判示第二の五の事実について、原判決は、被告人は赤羽忠雄と共謀のうえ、菊池邦宜に対して現金三〇万円を供与した旨認定しているが、右金員は、中村源三郎、内津忠保、高橋貞之助、菊池邦宜、小林平の五名が被告人に対し五〇万円要求することとし、菊池が他の者の使者として被告人に要求し、結局三〇万円を受け取って来たものであって、菊池が一人で貰ったものではなく、かつ菊池は他のものに渡しているのであるから、結局被告人は菊池に三〇万円を交付したものというべく、従ってその交付行為は菊池の中村らに対する供与罪に吸収されて罪とならない旨、前同様の主張をなすが、被告人(昭和三八年一二月二四日付)、赤羽忠雄、菊池邦宜(同年一二月一二日付)の各検察官に対する供述調書の記載等記録によれば、前記中村、内津、高橋、菊池、小林の五名は被告人に金員を要求することを相談し、そして菊池が一人で被告人方に赴いて要求することに決めたので、菊池は被告人に対し、単に、終盤の追込みに必要だから五〇万円程欲しい旨申し込んだこと、被告人は選挙事務所の赤羽忠雄に電話し、誰か取りに行くから五〇万円渡すように指示したが、赤羽は今更五〇万円は多すぎるから三〇万円でいいではないかと被告人に示唆したこと、そこに菊池が来たので、赤羽は現金三〇万円を渡したこと、菊池は不満ながらこれを受け取って帰り、その後佐久町の小林平方に置かれた事務所で買収資金等に費消されたことが認められる。以上の事実によれば、本件金員は菊池邦宜の要求により同人に供与されたものであって、被告人が、同人に対し、他のものに供与せしめる目的を以て交付したものとは認めがたい。仮りに菊池が所論の如く他のものに供与したとするも、被告人は菊池と共謀して供与したものとは認め難く、従って菊池に授受したことをもって同人に対する交付行為と認定することはできない。なお、仮りに右の五名の者全体に対する供与であったとしても、この誤認は判決に影響はない。畢竟、本論旨もまたその前提を欠き、採用できない。

五、以上のごとき所論指摘の各事実について、前認定に反する信ずべき証拠はこれを発見しがたく、原判示第一の五および六、第二の四および五の事実について審理不尽その他の違法はなく、事実誤認ないし法令適用の誤りは毫も在しない。

第四島田徳郎弁護人の論旨第三点について

所論は、被告人、堀内勝義、小林只雄の各検察官に対する供述調書には証拠能力がないと主張するが、同人らの各供述調書を通覧し、その供述の経過、各供述人相互の供述の経過を対比検討し、さらにこれを同人らの原審各供述と対比して検討するも、同人らが、原審公判廷において所論のごとく供述するところはにわかに措信しがたく、被告人が豊島検事から早期釈放についていわれ、自己の借財を考慮したための利益交換の供述であるとか、堀内勝義の供述調書は取調の時期的に、他の関係者の供述に合わせられたに過ぎないとか、小林只雄の供述調書は、同人の県議会議員選挙のさいの違反を摘発しないことの利益交換による供述である等、所論のごとく任意性並びに特信性に疑いあるものとは認めがたい。所論に徴して記録を調査するも、他に所論指摘のごとき違法の取調を窺わしめるに足る資料は存しないので、論旨は理由がない。

第五量刑不当を主張する検察官の論旨について

検察官の所論は、原判決が被告人に対し、禁錮刑を言い渡し、かつ、刑の執行を猶予したのは、その量刑著しく軽きに失して不当であると主張するので、按ずるに、苟も国民の意思を代表して国権の最高機関を構成する国会議員たらんとする者が、自ら、選挙犯罪の中でも最も悪質とされる買収事犯を犯し、自己を支持する選挙民にも多大の累を及ぼし、現に多数の処罰者を見るに至るがごときは極めて不見識の譏りを免れず、記録によって窺れる本件事犯の規模、原判示のごとき犯行の回数、買収資金の額、犯行の経過、態様等所論に徴すれば、本件事犯の罪情甚だ悪質というべきは所論のとおりであり、原判決が禁錮刑を選択した点はいささか軽きに過ぎる憾みなし<としない>ともいえるが、記録によれば、被告人のために直接選挙運動にたずさわったいわゆる側近、協力者にいささか人を得ず、ために功をあせって墓穴を深くした状況も窺われ、今日においては今さらのごとくその非を悟り、爾今、立候補の志を捨て、専ら経済的活動をもって郷党に報いんとの真摯な態度も窺われる等、諸般の情状に照らせば、検察官の所論を考慮に容れてさらに検討するも、原判決の量刑は当裁判所においてことさらこれを変更しなければならない程に当を失するものとは認めがたいので、検察官の論旨もまた、採用できない。

よって本件控訴は、いずれも、その理由がないので、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 三宅富士郎 判事 石田一郎 金隆史)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例